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つれづれなるままに・・・36年有余の想い出語り その閉

営農指導員という肩書きの一方で「非力感」を味わう日々が当分続くこととなったのだが、その「非力感」がバネとなってか、貪欲に作物づくりの知識を得るため本を買い求め読み漁った。

と同時に実践することが大事との思いで最初に手がけた作物がスイートコーンで、このコーンは今では自分の得意な作物のひとつとなっている。

さてその農産畑に染まることとなった平成元年というのは小生にとって格別な意味を持つ年である。

それは生姜青壮年部の事務局として年を同じくするメンバーと深くかかわれたこと、そのメンバーの奥さん達で組織されたYSCの初代からの事務局を務めることとなった記念すべき年であるわけだ。

生姜青壮年部との思い出は数え切れないほどあるが中でも強く記憶に残っていることが二つある。その一つは長野県中野市農協への視察研修で、この研修目的が生姜の栽培とは関係なく、「組合員と農協とのより良い係り合いはどうあるべきか」を探ることにあったこと。

そしてもう一つは「生姜のコンテナ栽培」を小生から投げかけさせてもらい彼らが快く受け止めてくれ、より発展した形で今でもそれを継続してくれていることだ。

この取組に参加してくれた小学生は延べで二千数百を超す実績となっており、一回目に参加してくれた子の中の一人がこの地で生姜栽培農家として両親と一緒に頑張ってくれている。

YSCとの思い出も数え切れないほどのものがある。中でも平成4年ころ自ら手をあげ堆肥センターを担当させてもらい堆肥づくりに夢中になる中でYSCのメンバーを巻きこんで商品化できた生ゴミ分解処理材「かえるんど」。

この「かえるんど」をきっかけに、県下あちこちのJA女性部組織、高知市役所の女性組織、県の生活普及員が事務局を務める女性組織に、「生ゴミ博士(?)として招かれ大いに熱弁をふるわせてもらったものだ。

そういえば清水か宿毛の女性組織に呼んでもらった時に事務局を務めていた女性が

今高南農業改良普及所で経営支援で活躍されているH嬢(当時はA嬢)であったことを懐かしく思い出す。

36年有余を振り返ればこのブログをいくら続けても足りない程の楽しい想い出の数々が頭をよぎってやまないのだが、つれづれなるままの想い出語りはこの辺で閉じさせてもらうことにしよう。

・・・・・・(実は連日のお酒浸りで頭の回転がすこぶるさびついているのです)

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